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ある日の出来事 Part 2

動きが止まってしまったATMがようやく
動き出したと思ったら、コイン返却口を確認してくださいと。

ということでATMの下の方に位置するコイン返却口に
自販機の釣り銭を確認するのと全く同じ要領で指を突っ込みました。

するとどうでしょう。
指に当たったのは固い硬貨とは違う明らかに小さな何かの破片。
予想していたものと異なるものが入っていたので恐る恐る少し
手にとり指を引き抜くと・・・・


なんとカカオ豆ではありませんか!
厳密にはカカオ豆を砕いたカカオニブでした!

なんで硬貨返却口から出てくるんだ!?
理由はわかりませんが、おそらく封筒の中に
硬貨と一緒に数粒のカカオ豆が混じっていたのでしょう。

そうとも知らずに入れてしまい、ATMはATMでまた硬貨を
振り分けようと何度も何度も機械をぐるぐる回したので、
カカオ豆は皮が剥かれ、粗く砕かれたニブになっていたのでした。

思わず笑ってしまいそうになるのをこらえながら
ニブを取り出し、このことを社員に報告しました。

すると、ダリケーの社員のTKは、
「吉野さん、昔はカカオ豆はお金として流通していたでしょう。
今またカカオ豆を通貨としてATMに入れるとは、さすが吉野さんですね」と。

そうなんです、カカオはとても貴重だったので昔はお金として
使われていたのです。さすがに今のATMではカカオをお金として認識しては
くれなかったですが、そういう時代を取り戻すのも面白いかも。

ということで、ダリケーのお給料はカカオ豆での支給になったとさ。

おしまい

ある日の出来事 Part 1

ゴールデンウィークが明け、春の陽気が気持ちよい月曜日の昼下がり。
お店の売上金を入金するために、近くの信用金庫に向かった。

既に窓口の営業時間は過ぎ、ATMだけがそこに佇(たたず)む。
ATMも思えばテクノロジーの賜物(たまもの)だ。
Automated Teller Machineの略といえばかっこうはいいが
日本語では「現金自動預け払い機」という、いかにも海外の
ものを日本に持ってきましたというような直訳が当てられる。

atm.png


名前はともかく、窓口に人がいなくても処理ができ、ましてや
そっちのほうが正確かつ手数料も安価となれば、ATMの
功績は計り知れない。

たまにATMの前で、おそらくどう操作してよいのか分からないのであろう、
高齢の方が手をこまねいて画面にタッチしているのを見ると、
テクノロジーについていけずにかわいそうだな、と思うが
間違いなく数年後には今よりもっとネットバンキングが当たり前になり
タブレットやノートPCで専用のバンキング・アプリなどを
する時代になるだろうし、自分が老いたときには、今では
考えられないような決済をする時代になっているのだろう。

そんなことを考えながら無人の信用金庫に入り、売上の入金作業に入る。
お札だけでなく、硬貨もあるのが少し面倒くさい。
でも100円も10円も50円も区別なく、ジャーっと硬貨投入口に
いれれば、勝手にカウントしてくれて入金してくれるのだから
大したもんだ。

そんなカシコイATMではあるが、その日に限ってはなぜか
動作が遅い。コインを数えているジーっという音が、通常であれば
2~3回で数え終わって静かになり、入金額を表示するところ
まったくその気配がない。10回、20回とジーっという音は続き、
処理時間は3分を越えた。ウルトラマンがこのATM使ったら
敵を倒す前にタイムアップだ、そんなことは考えなかったが
3分は長すぎる。

朝から酷使され続けたATMの反抗か分からないが、あまりにも
長いので、横についている電話で係りの人を呼ぼうと受話器に触れた
ちょうどその時、画面に「コイン返却口を確認ください」との
表示が出た。

そうか、投入した硬貨の中に、何か形が変形したコインか何かが
入っていたのかな、そう思って返却口に指を突っ込むと
明らかにコインではない感触が・・・・

(続く)


3周年を迎えて

こうしてちゃんとしたブログを書くのはいつぶりだろう。
思い出せないくらい間があいてしまった。

ブログはシゴトではないけれど、自分の想いや考えを伝える手段であるから
ずっとやってきたし、そこに共感や感動、時には一歩踏み出す勇気を
読者に与えることができたら、なんて素晴らしいだろうと思って
楽しんで書いてきた。

ただ毎年のことではあるけれど、冬はチョコの製造と販売で忙しく、
いつもは睡眠時間を多少削れば書くことができたブログも
いつしか削るべき睡眠時間さえないほど忙しくなり、
「忙しい」の読んで字のごとく、心を亡くすほど忙殺されていた。

余裕がないといった場合、時間に余裕がなかったり、心に余裕がなかったり、
余裕がない対象は色々はあるが、いずれにせよ「余裕がない」ときは
必死で何かに取り組んでいて、その他に目が行かなくなっていることが多い。

カツカツで行動するのに、予定はぎっしりだから、ひとつうまくいかないと
それを挽回するための時間もなければ、次の予定も狂い、朝1番のミーティングが
長引けば、続くその日のミーティング5~6個全てに遅れたり
準備不足になったりする。

余裕がないことは本当によくない。でも、余裕を作るために
アポを入れないのは、私にはできない。

引き合いが多いというのはありがたいことだ。
シゴトが多いというのは、本来ものすごく恵まれていることだ。

仕事は選ばなきゃ、なんてかっこよく言ってみたいけど、
そして昔の自分なら仕事は選んでいたかもしれないけど、
今はそうはできないし、したくない。

なぜならシゴト=お金ではないからだ。
シゴト=Dari Kの取り組みを、夢を、今後のビジョンを
説明するチャンスだから。

僕は3年前から会社員ではなくなった。
だからシゴトとプライベートは独立して存在しなくなった。
すべては仕事であり、すべてはプライベートだ。

そうすると何が起こるか。
休みがなくなる、とかいう次元ではなく、
自分の人生のベクトルが毎日毎日進み始める。

なんと言えばよいのだろうか、例えば普通の会社員ならば
キャリア上の目標に対しては平日シゴトをする日に進んでいくし、
趣味やリラックスは休日にやる、という使い分けになる。
ベクトルは1つではないし、いろんなベクトルが、
毎週、毎月少しずつ伸びていく感じだ。

それが、シゴトとプライベートの境がなくなると、
毎日が大きなベクトルに向かい、走っていくことになる。

それを玉に例えるなら、その勢いは、日に日に増し
慣性の法則にならい止まろうとしても止まらない。
加速度的に進み、さらに進み、勢いは目を見張るほど増していく。

その過程はとても特殊で、勢いがついたその玉は
忙しさで忙殺されながらも、素晴らしい出会いに
満ち溢れるようになる。

勢いがつくと、その速さと同じくらいの速度で進む人でないと
ついてこれなくなる。だから「ノッてる人にはノッてる人がつく」。
類は友を呼ぶ、というのとはちょっと違うかもしれないが、
すごい成長をしている人とめぐり合うようになり
それが刺激でさらに回転が速くなる。
もはや誰も止められない。自分自身がそうだ。
ましてや周りからみたら、それは一目瞭然。
飛ぶ鳥を落とす勢い。

でもその勢いを帯びた玉は、どんどん早く転がるが
磨耗もする。それは目に見えずらい。
早く転がるがゆえに、摩擦熱も大きい。
毎日毎日擦り切れていく。でも自分自身が止められない。
手当てできない。玉は傷つき、でもそのまま走り続け
何か大きな壁にでも当たらない限り、その玉は
永遠に速度を増しながら転がっていくのだろうか。


玉が擦り消えていっているのは、自覚があった。
はじめに少し付いたキズは小さくても、転がるうちに
大きな溝になっていく。

自ら玉を止めるべきか迷った。
もう十分な速度はある。だから少しブレーキをかけるのも
悪くない。

でも、僕にはそれはできない。
できなかった。なぜなら、もうその玉はシゴトでもなく
プライベートでもなく、人生そのものだからだ。

玉の速度をあえて自分で落とすことの恐さが分かるだろうか。
ノッている時に自ら玉を止めるなんて、なかなかできたもんじゃない。

それが出来るのは、たとえばサッカーの中田ヒデだ。
ワールドカップで、まだまだ頑張れる年齢だったのに引退した。
試合終了後、ホイッスルがなってもピッチに仰向けで空を見上げ寝ていたヒデ。
次のワールドカップもあるのに、あんなに勢いがあったのに
彼はそこで自らの玉を止めた。

でも彼は、プレイヤーとしてのベクトルに向いていた玉を止めたのであって
人生のまた別の方向にベクトルを変えたのかもしれない。

株価が爆騰している時に、その株を売るのは難しい。
いや、売る人はいっぱいいる。それは明日その株価が反落するのが恐いからだ。
勢いがのった玉が逆方向に転がるのが恐いからだ。
恐いからストップさせることはできる。でも、それとこれとは違う。

僕は走り続けた。なぜなら、僕には目標があったからだ。
Dari Kを設立して3年で「チョコレート屋さん」のフェーズは終わる。
チョコレート屋さんはチョコレート屋さんとしてもちろん残すし
それは今後も核であり続ける。

でも、4年目からは、Dari Kは京都のチョコレート屋さん、カカオ豆から
手作りのチョコレート屋さん、それだけではダメなんだ。
4年目からは新たな展開をする、そう決めていた。
誰にも言わなかった。言えなかった。でも心で固く、かたくかたく決めていた。

だから玉を、キズがつきはじめた玉を止めることはしなかった。
キズが溝になり、それが玉の方向性と速度をぐらつかせる危険性も出てきたが、
あえて自らそれを止めることをしなかった。重心がしっかりしていれば、
自分がしっかりしていれば、必ず道は拓けると信じていた。


バレンタインが終わり、Dari Kの従業員は半分になった。
自ら辞めた人もいれば、辞めてもらった人もいる。

僕がどんな気持ちだったかなんて書くつもりはない。
各人たちにとっても、それは大きな決断だったと思うから。

でも今、2011年3月11日、東北大震災の日に登記したDari K株式会社は、
そして同年4月15日にオープンしたチョコレートショップDari Kは
3年を迎える。

多くの人が加わり、多くの人が巣立っていった。
でも変わらないものもある。
それは、自分の気持ちとカカオ豆だ。

今日、さきほど、旧ルマ・カカオ店の引越しを終えた。
ここ1週間、いや、3月1日から、社員が半分になってから、
残ったみんなで毎晩遅くまでシゴトした。

朝から晩まで接客や商談をして、夜8時から、チョコの製造をした。
ショコラティエとして入社したわけではないのに、
文句一つ言わず、カカオ豆を丁寧に洗い、焙煎している姿、
外で真っ暗の中で皮むきをしている姿、荷造りしている姿を見て、
自分が玉を止めなかったばっかりにツケを負わせてしまっているのを
経営者として不甲斐なく思うと同時に、彼らの姿勢に
胸が締め付けられた。

去った人も、僕が玉の速度を落とせば去らずに済んだのかもしれない。
自分は知らず知らずのうちに、このDari Kという玉の重心として
多くの人に影響を与えるようになっていることに、遅ればせながら気づいた。

スラウェシの農家も、Dari Kの社員も、自分の家族も、そして
チョコやカカオを楽しんでくれるお客さんも。

4年目を迎えるにあたり、目指すべきはただ一つ。
Be united ~一つになること~

スラウェシの農家も、Dari Kの社員も、自分の家族も、そして
チョコやカカオを楽しんでくれるお客さんも。

こんなブログ、訳分からないかもしれないし、公開するのもどうかと
思うけど、自分の想いや考えを書くのが目的だから、あえて残そうと思う。

Be united.

Dari K never stops.

フェイスブックもご覧下さい!

Dari Kではかなり以前からフェイスブックでも情報発信をしています。
こちらをクリックして下さい!

これまでインドネシアへ行ったときの動画や、メディアへの露出などは
主にフェイスブックのページを通して紹介しておりました。

私が一人で運用してきたフェイスブックのサイトですが、昨日より
祇園店店長の足立と共同でアップするようになりました。

早速、足立がアップした記事が下記になりますので(かなり渾身の出来に
なっていますよ!)是非フェイスブックでもDari Kサイトをご覧下さい!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 みなさま、こんにちは!

祇園

本日より祇園あきしの店から桜情報をお届けしたいと思います。

 本店によくお越し下さっているお客様でも、「祇園にオープンした事を知らなかった!」というお声を伺います。なので、第一回目は改めて祇園あきしの店の紹介をさせてください。

(そもそもDari Kとは?という方はぜひホームページをご覧ください! → http://www.dari-k.com/)

 祇園で20年の割烹あきしのの女将さんのご協力のもと、昨年10月にDari K祇園あきしの店をオープンしました。「京都だからこそできるものを祇園から発信したい」いう想いで始まったこの祇園あきしの店も、約半年が経とうとしています。

 場所は、八坂神社や円山公園のある東大路通を南に少し下がったところにあります。八坂神社から清水寺への散策ルートの間にあり、京阪祇園四条駅からも近いことから、足を運んで頂きやすいロケーションとなっております。

 祇園あきしの店ではこの店舗限定の「抹茶トリュフ」を販売しております。抹茶の風味とDari Kのカカオの芳醇な香りを活かすようなトリュフにするべく試行錯誤を重ねました。春の到来を感じて頂ける一品となっております。

本格的に桜の季節がやってまいりました。本日は残念ながら雨模様ですが、お花見ついでに是非とも祇園あきしの店にお越し下さい!

明日からは桜情報をお届けいたします。お楽しみに*

目に見えないもの

ソチ五輪が盛り上がっていますね。

私たちが見る演技の画(え)というのは、前回の五輪に出場した
選手であれば、その時から4年間の努力の集大成になります。
また初出場の人にとっては、それまで演技・競技を始めてからの
人生の集大成といっても過言ではないでしょう。

しかしオリンピックというのは、何年・何十年の積み重ねの
集大成と言われつつも、本番の演技や競技というのは、それはほんの
数分間のいわば発表会に過ぎず、それまでの選手人生の努力や苦悩を
全て映すことなんて到底不可能です。

その発表会の評価は、これまでの努力や苦労の和や積にはならず、
その一瞬の場の空気、緊張感、運、体調など多くの他の要因に左右されるので
当然ながら、一番頑張った人が金メダルをとるわけではなく、演技の瞬間に
一番うまく発表を出来た人が金メダルを取る、というものだと僕は
思います。

「過程(努力、苦悩、挫折、研鑽)の集積=結果」ではなく
「発表会の出来=結果」であり、発表会の出来は「過程+偶然の要素」
なので、結局は「結果=過程(自分でコントロールできるもの)
+偶然の要素(自分でコントロールできないもの)」だと思うのです。

演技・競技の結果は、それまでの練習で思い悩み、身体を痛めつけ、
それでも続けてきた過程の集大成といえば分かりやすいけれど、でも
それは正確には集大成プラスその他の要素としての「結果」であり、
この「結果」に対して、他者の評価が加えられることになるのです。
よりラディカルに言えば、この「結果」のみに対して、世間の評価が
加えられるのです。

オリンピックでは、どの選手も例外なく、一般人には計り知れない試練や
悩みを乗り越えてきたと思いますが、その過程の努力イコール「結果」とは
なりません。

ものすごく頑張って、死に物狂いで頑張って、でも競技(本番)で
運や体調により失敗すれば、それが「結果」となります。運や体調を
コントロールできなかった、それも「結果」の要素になるのです。
これが勝負の世界。それが世の中です。

2月も下旬で、今は入試のシーズンでもあります。
僕は毎年2月になると、もう大学入試を経験してから10年以上経つというのに
いまだに自分が受験した頃の気持ちを思い出します。

もともと頭が良かったわけでもないし、運動が出来たわけでもない。
親が大企業の社長や大学教授なわけでもないし(むしろ大卒でもない)、
超有名な進学校に通っていたわけでもないし(栃木の片田舎)。
だけど、だからこそ、僕は頑張りました。頑張れば、努力すれば、
それがそのまま「結果」になると思ったのです。

家庭環境に恵まれているからとか、高校が有名進学校だからとか
そんなんじゃなく、純粋に自分がどれだけできるか試したかった。
ベストを尽くすことを信条としてきました。

どんなに模擬試験で良い成績をとっても、入試においてそれは考慮されません。
本番の一発勝負です。たまたま直前で風邪をひいて、実力を出し切れず不合格に
なる人もいるし、絶対不可能だと思われていたけど、たまたま入試問題が
その人の得意な分野ばかりで合格する人もいる。入試という発表会での
「結果」が全ての世の中。

僕は大学入試の本番で、焦って自分の力をフルに出すことができませんでした。
そのときは悔しくて悔しくて声をあげて泣きました。
そんな「発表会の結果」にこの世の一発勝負の不条理さを感じながらも
でも、ベストを尽くしたことで逆に自分に自信がつき、自分自身が
納得することができました。

そして自分を応援してくれた家族や学校の先生、クラスの仲間を
大好きになりました。


ところで、スケートの真央ちゃんの2日目のフリーの演技が終わったあと、
彼女はインタビューで「(4年間頑張ってきたことが)できた」と言ったとき、
自己ベスト更新したことへの自分自身への納得、誇りの表情を見せた時に、
僕は何か自分が昔同じようなことを感じたことを思い出し、急に胸が
苦しくなりました。

メダルを獲得するという目標を達成できなかったことへの悔しさは
当然言葉では表せないと思います。でも、自分の努力、4年間の苦労を
知っているのは自分で、メダルという「発表会の結果」ではないけれど
自己ベストを更新したという自身の努力の「本当の結果」が出て、
心底良かったしおめでとうと思いました。

キム・ヨナ選手もパーフェクトな演技をしたけれど銀メダルに
終わったことに対して、彼女はジャッジに不服があるとは物申さず、
「自分の演技ができた」と納得していました。
メダルの色ではない、自身の努力の「結果」が得られたことに
満足していることにも強く共感しました。

メダルとか、入試とか、それは確かに「結果」ではあるけれど、その結果は
他者が判断するための「発表会」の結果です。

その過程にある努力、苦悩、挫折、再起、それをジャッジを含む傍観者は知り得ません。
いくら応援していたって、本人がどれだけ頑張ったか、どれだけ悩んだか、
どれだけ胃の痛い思いをして、どれだけ頭を使って、どれだけ身体を酷使したか、
そんなの周りの人はおろか、友達も、一緒に住んでいる家族だってきっと100%は分からない。
それは本人にしか分からないはずです。

そしてその本人がベストを尽くすことが出来たのなら、それこそがもっとも
望ましく、ありがたく、祝福すべき「結果」だと思います。

メダルをとれなくても、入賞しなくても、その人がその人自身の「結果」に
満足するなら、それでいいのです。


本当に大切なものは目に見えない、なんていうと、「星の王子さま」を
思い出しますが、「結果」がものを言う世の中で、目に見える発表会の結果を
重視するのもいいですが、目に見えない大切なものを大事に出来るのは
自分自身しかいないわけだし、それを大切にすることこそが「プロ」なのかな、
とふと思うのでした。






プロフィール

Dari K

Author:Dari K
Dari Kの経営者です
宜しくお願いします!

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